吾郎です。僕の人生のダメダメさをアピールしていましたね。
本当にお金のない人生です。
ムダ使いなんてしていないのに家計が赤字になるって本当にしんどいんです。
仕事終わった後に、仲間と一杯飲んで帰りたいときもあるじゃないですか?
それもお金がないから断ってましたね。
嫁には「会社の人と飲んでもグチばっかで面白くないから、飲みには行かない」って見栄張ってましたが、毎日寂しい思いはしていました。
どうしても飲みたくなるので、コンビニで缶ビール買って、池袋西口公園で飲んでいました。。。もちろん一人でね。
こづかいは、毎週少しずつもらっていましたが、金曜にはなくなっちゃうんです。
金曜日の所持金が100円しかなくてビールも買えないときもあったんです(笑)今では笑える話ですけどね。
明るい貧乏!吾郎のアフィリ貧乏ブログ、前回の続きです。
⇒前回の話はここから、お金がない人生 僕と仕事と副業と
アルバイトの話に戻りましょう
副業で派遣会社に登録して、休みの日には居酒屋でアルバイトをする。
こんな生活が1年近く続いていました。
派遣先も都度変わるので、毎回「はじめまして」です。
毎回自己紹介して、4.5時間働いて帰る。
時給1,000円でしたので、1日5,000円くらいになるんですよね。
このときは、家計からこづかいもらいませんでしたし、派遣の給料でタバコ買ったり、ビール買ったりしていました。
こんなに貧乏なのにタバコも酒も辞めなかったって僕は本当にどうかしていると思います。自称明るいバカですからwこまかいことは余り気にしていません。
でも、先の見えない生活に不安を感じながらも、休みの日はがんばって労働していました。
子供は小さいので、嫁さんは働きに出られません。
僕が働くしかないんです!
しかし、悲壮感なんてありませんでした。
結構楽しんでいた部分もあって、これが続けられる原因だったのではないでしょうか。
お気に入りの派遣先は屋形船!
毎回、派遣の仕事も自分なりに一生懸命やりました。1回限りの仕事でも、わからないことは覚えようと努力しましたし、その姿勢は派遣先にも届いていたのかもしれません。
実はスポット派遣(1回限りの派遣)も、派遣された人を評価する制度があったようなんです。
吾郎は不器用ながらも一生懸命だから満点。こんな感じだったんでしょうか?
1回行った派遣先さからリクエストをもらうことが多くなります。
僕も仕事をしなきゃいけないし、1回行ったことのある場所なら、こちらも気が楽になので、願ったり叶ったりと思っていました。
中でも、一番良くしてくれたのが、浜松町にある屋形船屋さんです。
この時、気づいたのが僕は船が好きだったらしいんです。
乗ってて楽しかったし、毎回行先は、お台場かスカイツリー周辺の隅田川だったんですが、船の中で仕事できるのは楽しいと感じていました。
というか、屋形船に乗ったのが、アルバイトがはじめてだったんですが、船ってすごく楽しくてウキウキしちゃうんですよね♪
直接雇用された!
これは、スポット派遣をしていると、多い話らしいんですが、派遣先から直接雇用されるケースも多いみたいで、僕も例外ではありませんでした。
「時給1,100円出すから直接仕事してくれないか?」
断る理由がありません。船好きだし。給料も少し上がるなら嬉しいと感じていました。
・・・ただし、ここに罠がありました(笑)
屋形船って冬場の仕事がほとんどないんですよ
冬場でモチベーションダウン
この頃になると、屋形船屋さんで仕事するのが普通になっていましたし、毎回「はじめまして」をやるのも嫌になってきていて、派遣会社から仕事をもらって現場に行くことをしなくなります。
そして、罠なのが、屋形船を使う人が冬場はいないということです。
確かにそうですよね。寒いし、花火大会があるわけじゃないですし、屋形船は4月~9月くらいまでが仕事のピークだそうで、年間を通じて仕事があるわけではないようなんです。
そのため、船宿(屋形船屋を船宿というらしい)は、不動産収入などで冬場も収入が途切れないようにしている船宿多いということを、このとき知ります。
「次、仕事来たら連絡するね」
と、言われ3週間も連絡が来なかったんです。自分からも連絡しなかったのがありますが、完璧にモチベーションが下がり切りました。
バイトも疲れていましたし、3週間も休んだら労働意欲が湧かなくなっている自分に気づきます。アルバイト生活はフェードアウトという形で終わっていきます。
ソーシャルゲームに明け暮れる
人生の休憩モードに入ります。ブラウザ三国志というソーシャルゲームにハマります。
これ、課金もできるゲームなんですが、お金ないくせにハマりすぎて課金して2年くらい遊んでました。
クレジットカードは会社のものを使えば年率5%だったのを良いことに、副業辞めて本業だけの収入に戻ります。
嫁さんは「吾郎ちゃんに任せる」と言ってくれていて、甘えていた時期です。
戦争ゲームに明け暮れていました。
この頃、子供は2人。上の子は小学校に上がったくらいで、下の子は幼稚園の年中さんくらいだったと思います。
ソーシャルゲームの経験で覚えたこと
ちなみにソーシャルゲームで覚えたことは、
- 主婦は強い
- ニートやアルバイト収入だけの40代の人が強い
- 自営業者やネット環境の仕事をしている人がたくさんいた
でした。みんな強いんですw
それでも、課金して追いついていくようにがんばりました。
吾郎はゲームも必死です。
今までに会ったことはないタイプの人たちと知り合いになれたので良い経験になりました。
ちなみに、ゲームを辞めた今、付き合いのある人は誰もいません。
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