吾郎です。
前回に続いて、自己紹介的な記事になります。
僕の今までの副業履歴を知ってもらえると、なぜブログを仕事にしようと考えたか、ご理解いただけると思います。
僕みたいにお金がない!という同じ環境のサラリーマンって多いと思うんですよ。
人間悩みを抱えていてもみんな元気に仕事していますよね?お金のことなんて特に人になんて言えません!
僕もそうでした。
でも、同じようにお金がないことに悩んでいる人って多くありませんか?
今回はお金がないから、スタートさせた副業のことについてブログを書いていきます。
27歳:結婚と同時に自宅購入
後先考えない性格で27歳で結婚しました。
子供ができましたので・・・(笑)おめでたくゴールインです。
当時の私の年収は480万円くらいだったと思います。
彼女(嫁さん)の1ルームに居座り続けて、そこから仕事に行っていましたが、妊娠が発覚した同時期に自宅の家賃更新時期というダブルでお金がかかるイベント発生です!
都内の家賃は結構高いんですよ
次に住む場所を考えないといけないんですが、実家に戻るという選択肢はありませんでした。
なぜなら、職場まで遠いからです。
そうすると、借りるか、買うかの2つの選択肢しか思いつかなかったんですが、近隣で賃貸物件(50平米くらい)を探すと家賃が結構高くて驚いた記憶があります。
平気で10万円は超えるような感じでした。
手取り給料が25万円の僕が10万円の家賃物件に住んで生活できるはずがありません!
借りるより買った方が安かった罠
東京の東側、いわゆる下町なんですが、賃貸するより中古マンションを買う方が安かったんです。
しかし、ボーナス払いがあるので、その分を考えると決して安い買い物ではありませんでしたが、
- 賃貸だと月10万円前後
- 団地だと賃料が12万円を超えました
- 中古マンション購入6万円
こんな、感じだったので、毎月のランニングコストを下げるという理由で自宅を買う決意をします。
27歳か28歳でした。
自分で考えても人生計画の「じ」の字も持ち合わせいないなと相変わらず感じますね。
当時の僕は帽子を横チョにかぶって、ダブダブのズボンをはいた「チェケラッチョ」みたいな恰好をしていたんですけど、今思うと、不動産屋さんもチェケラッチョに家を売ろうと必死だったな・・・。
売れれば何でもいいの・・・なんて思い出しています。
28歳:いきなりリーチ 投資をはじめる
東京で生活するって思ってたよりキツいんですよ!本当に。
何がキツいって物価が高いんですよね。
嫁さんは働ける状況ではなかったので、収入は僕の給料だけです。
家計は毎月赤字。切り詰めるものを切り詰めても家計が黒字になることはありませんでした。
いつも、お金がなかったので、どうにかできないものを必死にアンテナを張り巡らせていました。
そんなとき、先輩に教えてもらったのがFXです。
外国証拠金取引の略で、うまくいくと1年で1億稼げる人もいるという話でした。
当時2007年くらいだったと思いますが、副収入を得るためにFXの勉強して、毎日トレードがんばりました。
ざっくりした話で申し訳ないんですが、ここで500万円負けます(爆笑)
副収入を得ようとしたのに、借金をしてしまうなんて・・・この借金は3年かけて返済します。
本当にきつかったですし、精神的苦痛が大きかったです。
本当にショックで誰にも言えませんでした。
少し借金返済の裏技を使ったりするんですが、そういう話は後日ということで。
お話したと思いますが、私は消費者金融の社員なので、この手の知識には長けていましたので。
ちなみに、この頃の年収は500万円行かないくらいでした。少し昇給してるんですね。
32歳:やっぱ家計は赤字 土日派遣で仕事をする
ずっと、家計が赤字なのは変わらなかったんですが、ボーナスがあったので、毎回半年に1度のボーナスで毎月の赤字を埋めていく感じでした。
家計の貯金は常に切り崩しながら生活していたので、嫁さんが退職したときの退職金は底をついていました。でも、明るいビンボーなので
「どうにかなるさ!」
こんな感じで嫁さんを励ましていましたが、毎日お金のことには悩んでいました。
僕の仕事は消費者金融社員でした。この時期、過払い金請求がすごいことになっていて、昇給の一切がストップしていました。年収は税込みで500万円からほとんど変化はありません。
下がらなかったのは良かったんですが、この給料、最終的に退職するまでほとんど変わらない金額なんです。
ランスタッドと契約:土日は居酒屋でアルバイトをするおっさん
副業禁止の会社でしたが(今も公に認めているところは少ないですよね)生活できないんだから仕方ありません。
バレたら、バレたでその時に考えようと思っていました。
ランスタッドという人材派遣会社さんに登録をして、毎日違う派遣先にアルバイトをはじめます。
(初回の派遣登録は平日に面接をする必要があって、有給を取って面接に行きました)
そして、wワークってやつですね。
本業も一生懸命働きましたが、バイトも一生懸命やりました。
それと・・・
居酒屋での仕事なので、知人や会社の人に会わないように・・・
これは願うばかりでしたが、金融会社の社員って閉鎖的な感じがしています。
自社の人としか飲みに行かないし、他業種の人と絡みがあるような会社でもありませんでした。
というと・・・土日にわざわざ外(しかも、東京の繁華街)に飲みには行かないだろうという僕の予想はありました。
ちょっとだけ税金の話
幸運なことにもFPの資格は持っていたので、副業がバレるタイミングや税金の話はよく理解していました。
基本的なことですが、副業の収益の住民税を普通徴収にするだけです。
これだけで会社に副業がバレる確率はグンと減ります。
副業分の収入にかかる税金を、本業と一緒にしない方法で乗り切ればいいやと、このときも頭より先に体が動くタイプです。
なんとかなるだろう~と楽天的に考えていました。
最終的に退職するまで、本業の会社に副業がバレることはありませんでした。
派遣の仕事をしていてツラかったこと
一番つらかったのは、学生さんに「派遣さん!これ運んどいて」と言われたときに敬語を使って「かしこまりました」という自分。
この頃は休みの日、全て派遣の仕事を入れていたので、実質休みはありませんでした。体がしんどいことはなかったんですが、精神的に疲れる毎日を過ごしていました。
収入は多い月で5万円、半年で50万円前後ありました。この頃、本業の収入は全て家計に入れていたので、念願の万年赤字から脱出です。
ちなみに借金も返し終わっていたので、家計的に見た目はハッピーでした。
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