スポンサーリンク
前回の記事で、先祖の土地で自分と同姓の『久保』姓が何軒もあることがわかりました。きっと親戚か知り合いだろうという憶測を持ちながら、手紙で一斉に先祖調査アンケート調査をしました。
返信が来るかどうかわからないので、この間に調査できることを調べてみようと思います。やることは先祖の地元八王子の文献から何かわかることがあるかもしれないということです。
対象は八王子中央図書館と八王子郷土資料館です。いきなり訪ねて資料が一切ないとなったら悲しいので電話をかけてから行くことにしました。確認結果はこちらの記事から確認できます。
今回、自力で先祖を調べてみて感じたことは、先祖を調べていると言うとみなさんすごく協力してくれるという点です。先祖調査業者に依頼するより、自力の方が協力者が多いかもしれません。
根気があれば先祖調べは誰でもできるはずです。興味がある方はがんばってみてくださいね。
そういえば戸籍謄本から面白い記述がたくさん出てきました
こちらの記事で、昔の戸籍謄本は文章的というか、作文のように情報が手書きで書きこまれています。面白いなと思ったのが、現存する戸籍謄本の中に『安政5年生まれ』という記述が出てきたことです。
安政5年は井伊直弼がやらかした安政の大獄が起こった年です。学校の教科書や歴史で勉強したときの時代に自分の先祖がいる(当たり前のことですが)ということに震えました。
もし、ご先祖さまが筆まめで、当時の政治のことを日記に書いていたら面白いなと思いましたが、多分、私のご先祖さまはそんなことはなさそうです。
また、親戚間で養子縁組をしている記述も見つかりました。これは江戸時代にはよくあったことのようで、一橋慶喜や井伊直弼も家督を継ぐために養子になっていますし、子供のできない家や、女子しか生まれなかった家は跡取りとして男子を養子に迎え入れることは普通のことだったようです。
今の養子とは考え方が違い、スタンダードに養子縁組が行われていたようです。
私の先祖は有名人ではないですし、亡くなっているので個人情報はありませんので名前を出してしまうと、当家は久保仙介さん宅から養女が入ってきていました。この場合、女子を養子縁組していますが、例えば、食えなくなってしまった親戚を援助するために『里親が自分の子供に金銭的な援助する』という理由で、養子縁組を組むこともあったようです。
もしくは、家同士を親戚関係にしたくても、仙介家に女子しかおらず、家の本家とか分家の絡みで嫁にもらうことはできる、養女にしないといけなかった理由があったのかもしれません。
戸籍謄本には養子縁組をした理由までは書かれていないので、どんな理由で養子縁組されたかまではわかりません。文献が残っていれば良いのですが、手紙の返信で知っている方がいれば儲けものです。
このように、戸籍謄本から多くの情報を引き出すことができるのです。
自力で先祖を調べてみたい!と私のように変わった人はこちらの記事が参考になります。戸籍謄本の申請のやり方を記事にしています。
八王子郷土資料館
はじめに、八王子郷土資料館に電話連絡をしました。正直に自分のやりたいことを伝えて、目当ての資料が八王子資料館にあるのかどうかを確認しました。
電話に出ていただいた方はカワズさま。突然の電話で、長話をしてしまったのに親切に対応していただけました。八王子郷土資料館に保管してあって、閲覧可能なものを教えていただきました。
八王子の風土記(ふどき)がある
八王子千人同心の資料や名簿がある(同心は足軽という意味)
上川町は江戸時代は川口村だった
川口村史がある(現代語に翻訳してある)
宗門人別帳改は販売している(1750年~1850年)までの農民の名簿のようなもの
村明細帳集成(家数、男女別の人口比など。川口村のデータはないとのこと)
検地帳集成(土地調査のデータ。これも川口村はない)
市史編さん史もある
電話で話をしているとき、初めて聞く単語も多く、ほとんどの内容をひらがなでメモしていました(笑)
先祖を調べていることを伝えると、地図を見て同姓がたくさんいるなら、先祖の土地に間違いないだろうということ。その土地で何かしら力があった家柄かもしれないというお話。仮に久保家が力や経済力を持っていた家なら、川口村史、古文書から先祖の名前が出てくる可能性もあるということでした。
歴史調査を専門にしている方の意見なので、このような話を伺えるとワクワクしてきます。
ただし、風土記は当時の生活習慣や、どのような生活をしていたかという内容がメインになるので先祖探しには適していないという情報を得ました。
とりあえず、今の時点では郵送で宗門人別帳を購入しておいて、閲覧するものは少なくする方が良いだろうと判断しました。
宗門人別帳改(しゅうもんにんべつちょうあらため)とは?
江戸時代は藩が国民を管理することはなかったので戸籍がありません。その代わり日本国民は檀家と呼ばれるお寺に必ず属す必要があり、お寺が檀家を取りまとめていました。お寺ごとにバラバラになっているものを現代人がかき集めてまとめたのが宗門人別帳集成です。
しかも、江戸時代の文章の書き方は古文書(こもんじょ)になっているので、知識がないと読めません。八王子編さん室が古文書をまとめて現代語訳をしてくれたものを私たちは1000円前後で購入することができます。
ただ、残っている情報は飛び飛びになっているので、必ずしも欲しい情報と一致しているとは限りません。例えば、戸籍謄本で得た先祖の名前が宗門人別帳と一致すれば、宗門人別帳には身分まで書かれているので先祖の調査が一気に楽になります。
ちなみに江戸時代の武士は禄と呼ばれる給料(米)の配給がありましたので、武士なら武士名簿があるようです。この名簿は国会図書館などで保存されているようです。
八王子の宗門人別帳はこのようになっていますが、素人には『???』です。まず、名字の記載がない。農民は名字は許されたようですが、結婚式や葬式のとき以外ファーストネームだけだったということは聞いたことがありますが、正にその通りでした。
次に不思議なのが、持高壱石と書いてありますが、身分は百姓と書いてあります。雰囲気的に『壱石』と書いてあると武士の禄のようにも思えますが、百姓とあるので、所有している田んぼの大きさなのかもしれません。
当時は個人情報を保護しようという考えが全くなかったでしょうから、多分この仮説で間違いないのかな?とは思っています。
川口村の宗門人別帳は文化14年(1817年)のものなので、戸籍謄本でさかのぼれない年代です。これだけの情報を頼りに先祖を探していくとなると、同じ漢字が使われているか?で仮説を立てていくしかありません。
〇〇石と書いてあっても住所に変わる表示もありませんし、寺院によっては名簿が5つしかないとか、お寺によってはかなりグッズグズです。
結果から言えば、宗門人別帳改の存在を確認することができて、書籍も購入しましたが、先祖につながる手がかりはありませんでした。可能性としては戸籍謄本から先祖が受け継いでいる名前の漢字、例えば徳川家で言えば家康、家定、家茂、『家』という字。何かしら受けついている漢字があれば、辿っていく感じですが、それらしい記述も見当たりません。
後は八王子に行ったときに残りの書籍を閲覧させてもらって、必要な書籍はコピーをいただく方法で調査していくしかなさそうです。
全く無知だった私に丁寧に説明してくださったカワズさま。先祖を調べる方法なども教わりました。本当に感謝です。
八王子中央図書館
次に連絡したのは八王子中央図書館です。こちらでも先祖を調べていることを伝え、郷土史らしい書籍の保管があるか確認しました。
郷土担当のイワミさま。カワズさまと同じように、ものすごい丁寧で嬉しい気持ちになりました。イワミさまの話では、もし先祖が大庄屋、庄屋、組頭などの村役クラスなら郷土史に名前が載っている可能性があるとの情報をいただきました。
約束はできないものの、八王子市史を作成したときの雑誌のバックナンバーもあるので、川口村編があれば参考になるかもしれないとの話でした。また八王子は、半農半士の八王子千人同心の情報や書籍が八王子に多く保存されていることから、千人同心だった場合、一時期に限って名簿もあるということでした。
しかも、イワミさまは『ご先祖に関わりがありそうな文献を調べておきますね』とおっしゃっていただけて、実際に翌日『参考になりそうなものが3.4冊ありましたので、図書館に来たときにはご連絡ください』という丁寧ぶり!
しかも、私の先祖の名前を聞いて、『文献に久保さんのご先祖の名前がないか簡単ですが調べておきますね』という神対応ぶり!これは3日ほど時間がたって電話を頂くんですが『残念ながらご先祖さまらしい名前はありませんでしたが、久保姓は多く出てきますね』という話。これは先祖に行きつく以前に八王子中央図書館さんの対応に感動しました。
八王子の職員さんは神対応すぎです!!本当に感動しました。
これで、八王子に行ったときに手ぶらに帰ってくるということはなくなりそうです。調べるべき書籍もチェックしたので、後は手紙の返信を待ちつつ、下準備を進める感じです。
突如鳴った電話
『もしもし、久保さんですか?』『はい』『私も久保なんですけど(笑)』
つまり、つまり、そういうことですよね。
もっと早く連絡しようと思ってたんだけど忙しくて。という感じで連絡が来ました。連絡をいただいたのは、戸籍謄本先の久保さん。つまり当家の本家の久保さんで、私の祖父のお兄さんのお孫さんです。
『あなたの実家はここですよ』という話から始まり、私の親父の結婚式に久保さんの親も出席していたみたいです。
つまり・・・。
何も知らないって言ってたけど知ってんじゃん!
違うよ!先祖のことは知らないって言ったんだよ。そりゃ親父の実家だもん。おふくろが生きてたときは行ってたし、結婚式も来てもらってるよ。
・・・どうやら、私の聞き方に問題があったようでした。
そして、本家久保さんが言うには、先祖のことはわからない。実家に位牌はあるものの、それ以外の古文書や先祖に関わるものは一切ないし、誰も(久保さんのお母さん)先祖のことを聞いたことがないからわからないということでした。
ただ、八王子に来れば位牌は見せるし、当家の初代の戒名は『院殿号』ということでした。電話のときに院殿がどのようなものかわかりませんでしたが、久保さんのお話では、先祖が寺を建てるときの費用を出したとか、殿様だったという逸話はあったようです。
戒名における院殿号のはじまりは足利尊氏にはじまるといわれている。上皇や女院など皇族に相当する院号を避けて等持院殿という諡号を用いたことから、院殿号が戒名の一種として用いられるようになった。院号が皇族以外の身分の者にも比較的広く用いられるようになったのに対し、院殿号は歴代将軍をはじめ大名に限られ用いられるようになったことで、希少性の点から逆転し、いつしか最高位の戒名として認識されるようになってきた。
今日、院殿号は内閣総理大臣経験者をはじめとする政治家、指導的役割を果たす職業、地域の名家や功労者などに対し贈られるとされる。戒名の謝礼の相場としても、院号が20万円から100万円程度といわれるが、院殿号は500万円ほどであるといわれている。戒名としては法号最高位の院殿号と位号最高位の大居士(男性の場合、女性は大姉)と合わせて諡されることが最も格式高いとされることから、院殿大居士と俗称されることも多い。また、院殿号を受けた場合にも位号が居士号となる場合もあり、法号位号ともに最高位を占める院殿大居士が貴重とされる。
近年は、封建的な由緒を持つ格式やそれを尊重する価値観が時代とそぐわない面もあり、また特権階級的な戒名を家系や布施に応じて授与する慣例が仏教本来の教えに背くという批判から、仏教界においては議論のあるところでもある。
【出典:ウィキペディア】
そして、菩提寺は八王子の福寿寺、家紋は丸に三つ鱗ということ。家紋はこれで、北条家ゆかりの家紋であることがわかります。
殿様という話は眉唾のような気がします。八王子は当時幕府直轄領のはずなので、管理者はいたものの、殿様はいなかったのではないかと思っています。しかも、地図で見た感じ殿様の自宅にしては小さすぎますし、山に囲まれた土地なので、お寺に貢献して院殿号を獲得した可能性があるのかな?と仮説を立てました。
八王子の歴史から見ると、八王子にあったお城は八王子城と滝山城らしいです。元は北条氏が統括していましたが、小田原征伐で北条氏は敗北、徳川家康によって八王子城は廃城になっています。滝山城は防御しにくい理由から廃城させて、八王子城を築城した理由になっているようです。
江戸時代に入り八王子は幕府直轄地になっています。江戸の街は武士の比率が多い街ですが、八王子に関しては事情が違く、農民が多かったのではないかと思っています。そのため、証拠が出てこない限り、私のご先祖様は農民だったという線で調査を進めていきます。
八王子福寿寺
これは後になってわかったことですが、八王子の福寿寺は1570年に建立されたものの、お坊さんがいない期間が長かったようで、檀家の記録が曖昧になっているお寺でした。
当時の寺院は今より流行していたはずですし、日本国民は強制的にどこかしらの寺院に檀家として属していました。その中でお坊さんがいない無店舗(ある意味最先端だった?)なのは無理やり建立した可能性も否定できません。
そして、本院は山崩れで埋まってしまったことや、火事で寺院が消失したこともあったようです。(現在の住職さんから後に伺った内容)このように考えると、先祖の戒名が院殿だった場合、お寺に貢献したために院殿号をもらったと考える方が納得がいきます。
本家の方に聞いてみたかったこと
いろいろ質問させてもらいたいんですが、良いですか?
わかる範囲で答えるよ。
住宅地図を見ると、八王子のそちらの周辺、久保さんが多いんですが親戚づきあいとかすごそうですね。
いや。名字は久保なんだけど他人だよ。
え?え??えええぇぇ!!!
もしかしたら、遠い昔は親戚だったかもしれないけど、全然他人で親せきじゃないよ。この辺りだと鈴木とか佐藤くらいに久保がいるけど、何だろうね?俺も知らない。
じゃ、近くに久保橋とか、久保という名前がつく橋がありますが、その関係とかわかりますか?
全然わかんない(笑)生まれたときから自然にあるからね。そういうものだと思ってる。ごめんね。せっかく調べてるのに俺が何も知らなくて。
いえいえ、お話できただけで嬉しいですよ。
でもさ、なんで先祖なんて調べてるの?うちの先祖なんて大したことないよ。
それみんな言います。私変わってるんでしょうね(笑)
いや、そうは言わないけど、面白そうなことしてるなぁって。俺はやらないけど。
(笑)
そういえば、こっち来るの?
ええ、その予定です。
新しい仏壇を買ったからさ、仏壇に魂入れっていうのがあるから、〇月〇日にお坊さんうちに来るよ。俺より歴史のことわかってるだろうし、その日に合わせて来れば?何かわかるかもしれないよ。
いいんですか?
うん。
ということで、八王子に行く日も決定しました。本家の協力も得られるので新しい情報も得られそうです。
まとめ:八王子に行けば先祖の足跡をたどることができそう
私のように、自力で先祖が何をしていたか調べてみようと思う人がいるかわかりませんが、全く知識がなくてもある程度のことを調べることは可能だということがわかりました。
- 戸籍謄本を取得できるところまでさかのぼると江戸時代の先祖の土地を確認する
- その土地の住宅地図を確認して、現在住んでいる人(同姓がいるかチェック)
- 近所の地名に名前が残っていれば歴史的にも影響力があった可能性がある
- 丁寧にアンケートを書いて送ってみると、良い結果が出る可能性もある
- 地域の図書館や郷土資料館から情報がでてこないか調査してみる
- 先祖の檀家、お寺に手がかりがないか調べてみる⇒今ここ
- 実際に先祖が生きたときに行ってみる
時間はかかりますが、自分でここまでやればタダですし、自分の先祖を調べている場合、身内から情報提供がある可能性もあり、専門家より濃厚な結果につながる可能性もあります。
私のケースで言えば、業者が調査するよりも、親族の私が調べていることで、本家久保さんは連絡をくれたと思いますし、郷土資料館の方も非常に親切です。また、昔からの土地を調査するなら、市町村役所で土地管理の部署に行くと『以前からこの地区は農地で〇〇さんが庄屋をやっていたみたいだよ』と歴史的な背景を知っている担当者さんも多いと聞きます。
やり方はいくらでもあると思います。私の先祖調査はもう少し続きます。