八王子駅

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前回までの調査では、机の上で行うものが多かったです。自分の戸籍謄本を取得をして、続いてさかのぼれるまで先祖の戸籍謄本を上げていきます

 

次に現地でご先祖様の菩提寺(先祖代々のお墓)があれば、墓石に名前や戒名が彫ってあるので、戒名からも情報を得ることが可能なようです。

 

吾郎吾郎

ただ、自宅から八王子は結構遠いので、できるだけ充実した調査になればと思っています。こちらでは、八王子の郷土資料館や中央図書館に電話してみて資料があるか確認をしてみました。

本家の方とも連絡がつきましたし、現地に行っても全くの無駄足にはならなそうです。しかも、本家の久保さんのはからいで、お坊さんが自宅に来る日を教えてくれたので、その日に合わせて先祖調査をしてみます。八王子駅周辺でビジネスホテルも予約しました。

 

友人や家族に自力で先祖のことを調べているというと『面白そうだね』と言ってくれます。しかし、なかなか行動に移せる暇人もいないでしょう(笑)もし、将来的にあなたが自分の先祖に興味があって、調べるときの参考になれば嬉しい限りです。

 

現地調査1日目:文献を当たる

八王子郷土資料館

午前中の早い時間に車で自宅を出ました。うちは東京の東部なので八王子までは東京を横断するイメージです。高速道路に乗って1時間くらいでした。行った日に郷土資料館では企画展が開かれていて、八王子と幕末についての資料展が開催されていました。

 

八王子郷土資料館は膨大な資料を有しているようで、八王子にあった縄文時代の資料から第二次世界大戦時代の資料など、歴史的価値の高いものが保管されています。このような資料は日本の宝なので、永続して欲しい施設だと感じています。

 

さて、私の先祖に関わりがありそうな資料を探していると、壁に千人町絵図というものがありました。

八王子千人絵図

今では考えられない代物で、誰の屋敷とか、誰が住んでいるという情報を一覧できる絵図です。この中で『久保』という名前を探したところ、久保姓はあるものの、当家とのつながりは一切不明です。

 

八王子の千人絵図を詳しく見ていくと、久保宿という名前の宿がありました。これは後に八王子郷土資料館のカワズさまに聞いたことですが、〇〇宿という名前から先祖を調べていくことは困難だろうという話でした。

 

八王子の一部には久保姓が固まってはいるものの、どこの血筋かというのは地図からは確認できないということでした。

千人絵図を詳しく拡大

 

吾郎吾郎

なるほどね・・・。でも先祖は江戸時代は確実に八王子で生活していたことはわかりました。そして江戸時代の平民は引っ越しなんてできないので、ここに何かヒントがあれば嬉しいんだけど・・・。

 

価値のある資料は多いものの素人は読み解くことができない!

古文書全く読めません。地図からも歴史的背景もわかりません

勢いで先祖を調べているものの、私は全く古文書が読めません。少しは八王子の歴史を勉強したものの、付け焼刃的な知識なので、千人町絵図がいつ作られたものなのか、どのような理由で作成されたものなのかもわかりません。

 

モノには理由が必ずあるはずです。これをひも解くのは、古文書などを読み解くか、当時の人に聞くか、正しい知識を持っている方に聞くが正しいでしょう。一人でうだうだしていても正解を導けないので、ここは親切だったカワズさまに頼ってしまおうと考えました。

 

管理室にカワズさまがいた!!!

 

ということで質問攻めです。先日長電話に付き合っていただいたこともあり、覚えててくださいました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。ありがとうございます。

 

八王子郷土資料館職員の知識はんぱないって!

2時間半くらいはお話を伺いました。ここでは八王子の歴史は記事の内容と関連性がないので省きますが、資料館の管理室の中には膨大な資料があるんですが『この文献にこれがある』という内容が頭に入っているんです!

 

とにかく驚かされっぱなしの2時間半でした。八王子の歴史に興味がある方は八王子郷土資料館にお立ちよりください。

 

さて、八王子郷土資料館はコピーもOKです。ここで一番の収穫は千人同心の名簿でした。

八王子千人同心名簿

こまかくて見にくいですが、八王子千人同心は半士半農で(歴史家の間では武士要素は弱く、農民的要素が強かったと解釈されているケースが多い)通常は田畑を耕して、役目として日光の関所を守護する役割を担っていたようです。

 

結成された江戸時代初期は甲州街道からの敵の侵入を防ぐための部隊として活動していたようです。

 

千人同心の前身は、江戸時代、徳川家康が武田家と北条家の武士の一部を江戸を守らせるために再雇用したとされているようです。ただ、そもそも両方とも敵の武士ですから、外様大名を扱うようなイメージで『やることないときは田畑でも耕して年貢を納めろ!』と千人同心を扱っていたのかもしれませんね。

 

その証拠に江戸時代が始まったときに千人同心はすでにあったようですが、名簿が作られたのは幕末になってからだそうです。

 

吾郎吾郎

安政の大獄以降、幕府は国内戦争も意識していたようで、急いで千人同心の名簿を作らせたという話をカワズさまに伺いました。名簿作成は1854年(嘉永7年)で本当に幕末です。

 

名簿の中から戸籍謄本に出てきた名前を発見!

八王子千人同心名簿

まさか164年先の未来に自分の名簿がネットでさらされているとは夢にも思わないでしょう(笑)

 

そして、右下にいる久保仙助さん。養女を当家に入れたと記述のある方の名前が八王子千人同心から出てきました。その他、久保姓も以外と多いことが名簿から見て取れます。

 

ちなみに・・・。

八王子千人同心名簿

二十一番は日野市で土方とうい名前が出てきます。日野の土方というと、土方歳三に関係がある人かもしれませんね。ちなみに本人は薬売りをしていたとあるのと千人同心だったという記録はないので、親戚か、もしくは近所に住むたまたま同姓の人かもしれません。(うちの場合、近所に久保姓は多いものの全くの他人という話ですので、同じケースもあるかもしれません・・・)

 

他にも川口村に関する資料や、久保という名前が出てくる資料を拝見しましたが、戸籍謄本の氏名とつながるものはなかったので、カワズさまにお話しを伺いながら、郷土資料館での調査は終了しました。

 

八王子郷土資料館から、宗門人別帳集成や千人のさむらいたちなどを購入させていただきました!これからも八王子の歴史を勉強していきます。

 

八王子中央図書館

八王子中央図書館

八王子中央図書館の郷土担当のイワミさま。この方も親切な方で、電話したときに丁寧に対応してくださいました。(しかも美人さんです)

 

受付でイワミさまの話をすると、書籍を用意してくださいました。川口村(現上川町)の歴史に関わるもの、歴史的な事件があったものなどの書籍がありました。こちらもコピー可能だったので、必要な文献をコピーしました(著作権の関係で書籍の1/3か2/3以内のコピーまで可となっていました)

 

こちらでは直接先祖に関わる書類を確認できませんでした。しかし、千人同心の中でも川口村に住んでいる人の属性などがわかりました。

 

徳川氏は西の守りを固めるためと、浪人召し抱えということから、八王子に千人同心を置きました。八王子千人同心は千人頭、十人頭、平同心という仕組みでした。そして、甲州武田遺臣を中心に北条の遺臣や既に居住していた豪族などで構成されました。

【参考文献不明:八王子中央図書館よりコピー】

 

 

吾郎吾郎

書籍のタイトルをコピーし忘れました・・・

また、当家の菩提寺でもある福寿寺の記載もあったので、コピーを取りました。

 

図書館での作業は書籍をななめ読みしながら必要なものを抽出しているので時間がかかります。ご先祖さまへの直接な手掛かりにはなりませんでしたが、八王子の歴史と千人同心、川口村の立ち位置などがわかってきました。

 

川口村と久保の関係

ちなみに川口村は山に囲まれた土地です。

 

クボ 【久保】6 日本姓氏語源辞典

和歌山県、香川県、鹿児島県。

①地形。窪の異形。岩手県九戸郡九戸村荒谷では明治新姓時に窪地から称したと伝える。江戸時代にあった門割制度の久保門から。

【引用:日本姓氏語源辞典

 

上記のサイトではこのように説明されていますが、私は信用できない情報だと感じました。江戸時代の農民は通常は氏名だけで表示されることはあったものの、最近の研究では武士以外も名字を持っていたとされています。この説明の場合だと、明治新姓時と言っている時点で明治に名字をつけたと解釈できます。このサイトの著者も人名研究者と勝手な肩書を書いているだけなので、あまり信用できない感じです。

 

【名字の由来解説】
清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流、越智氏(物部氏の子孫)など全国の久保地名が起源(ルーツ)である。現在の山梨県である甲斐国山梨郡久保発祥の族は清和源氏武田氏流。『積塵邦語』によると、喜多郡立川村(内子町)の久保氏は清和源氏であり、新田蔵人義兼の子・久保式部太夫重兼を祖とする。伊予へきて黒滝城主になった、とあるがそれに関しては誤りも指摘されている。『大洲領庄屋由来記』では、石畳村(内子町)の久保氏は、先祖が久保伊予守源高実と記述あり。語源は、窪地。窪姓もあるが、久保は二字佳名に転化した形。この地名は全国に多い。家紋は橘、五三桐、丸に一の字、菱など。

【引用:名字由来net

 

吾郎吾郎

名字由来ネットの方が信用できる情報のように感じます。

もしかしたら、八王子の山に囲まれた窪地に住んでいたため久保になったのかもしれません。仮説の域は出ませんが、このようなことを想像しているだけで楽しくなってきませんか?

 

文献を調査していたら図書館の閉館しますアナウンスが流れ始めたので、この日の調査は終了しました。

 

吾郎吾郎

記事を書いていたら長くなってしまったので2部に続きます。翌日の調査はこちらからお進み下さい

 

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