先祖調査は素人でも以外と簡単にできる

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私の本業はネット広告と個人投資家です。基本、自宅兼事務所で仕事をしていますが、自分の先祖のことを知りたくなって自力で調査しています。先祖調査のネタは数回で打ち切る予定でしたが、思いのほか簡単には終わらず本業ネタよりボリュームが大きくなってきてしまって少々困っています。

 

ただ、素人でも基本的な知識があれば、以外と簡単に自分の先祖を調べることができることがわかりました。専門家に調査を依頼することも考えましたが、結構いい値段がする(15万円~200万円)嘘をつかれても、こちらがわからなければ鵜呑みにするしかないじゃないですか。そういうのが嫌だったので自力で先祖調べをしています。

 

現地調査1日目の先祖調べ記事はこちらから確認できます。記事が長くなってしまったので記事を分割しました。

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現地調査2日目:本家と菩提寺を調査する(上川町に入る)

上川町は自然豊か

八王子駅から車で30分も移動すると上川町に到着します。良い言い方をすると自然豊かな町ですが『東京だよね?ここ??』と言った方がイメージが伝わりやすいかもしれません。

 

久保さんと約束していた時間にはまだ早かったので近所をぶらぶらしてみました。

上川の説明

里と言っている時点で里です。地図ではイメージがつきませんでしたが、スノーボードをやりに山に登ったときの町のイメージに近い感じの町です。しかも、地元住民で昔の里山を取り戻すために、復元作業を実施しているようです。

 

感動したのは、小川の水が透き通るほどキレイでした。小川のせせらぎというのを始めて聞いたと思います。水量は少ないですが、これは小川ですよね?

小川

 

小さいながらも久保橋という橋もあった

久保橋

もう1つ同じような大きさで東久保橋という橋もありました。橋の規模としては『あれ?今、橋なんてあった?』みたいな大きさです。

 

吾郎吾郎

地図上で久保橋があるということを知っていましたから見に行きましたが、知らなかったらスルーする大きさです。

 

もしかして先祖は大昔からこの土地に根付いていて、久保という地名を名字にしたのかもしれません。卵が先か鶏が先かわかりませんが、この辺りの情報もゲットできたら嬉しいです。

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それでも時間が余ってるから勝手にお墓に行ってみる

八王子福寿寺

お寺の写真を撮り忘れてしまったようなので、画像を拾ってきました。お墓の場所は全くわかりませんが、時間もあることですし、自力で探してみます。先祖の戒名に院殿がいるということは聞いていますし、戸籍謄本からある程度の先祖の名前もわかっています。

 

お墓を確認していけば、いつかはたどり着けると思います。

 

 

あった!(笑)

墓誌

【一部マスキングして表示】

 

いろいろと気になる点があります。確かに福寿寺は一度お寺がなくなったという記録はありますが、初代が正保5年とありますが、正保は3年までしかありません。仮に正保5年だとした場合、年号的には慶安2年ですが1649年。八王子は江戸から外れた場所にあるので改号の事実を知らなかった可能性があると仮説を立てます。

 

続いて2人目の方(後で確認したところ私の祖父の兄)が昭和17年没なのに、その次が大正2年、平成16年とかなり飛び飛びになっています。ちなみにこの事実も後で本家の久保さんから聞いた事実ですが、大正2年に亡くなっている方が八王子千人同心の久保仙助さんの家から来た養女だそうです。

 

もう1つ気になるのが墓誌に『有縁無縁一切之霊』と書いてあることです。写真をアップした今気づいたので、他のお墓にも同じ記載があったのか、当家だけがこのように書いてあるのか不明です。戒名を見ると、全て本家の家の方なので無縁の方はいないんですよね。お寺の考え方なのかもしれませんが真相は不明です。

 

初代の戒名は確かに院殿になっています。私は戒名についても全く知識がないので少し調べてみました。

 

戒名から生前の記録がわかる?

位牌

院殿号(いんでんごう)は、戒名のひとつ。本来は院号の下位だが、江戸時代以降、実質上の権力者が院殿号を用いたため、事実上の最高位の諡号とされている。

院殿号
戒名における院殿号のはじまりは足利尊氏にはじまるといわれている。上皇や女院など皇族に相当する院号を避けて等持院殿という諡号を用いたことから、院殿号が戒名の一種として用いられるようになった。院号が皇族以外の身分の者にも比較的広く用いられるようになったのに対し、院殿号は歴代将軍をはじめ大名に限られ用いられるようになったことで、希少性の点から逆転し、いつしか最高位の戒名として認識されるようになってきた。

今日、院殿号は内閣総理大臣経験者をはじめとする政治家、指導的役割を果たす職業、地域の名家や功労者などに対し贈られるとされる。戒名の謝礼の相場としても、院号が20万円から100万円程度といわれるが、院殿号は500万円ほどであるといわれている。戒名としては法号最高位の院殿号と位号最高位の大居士(男性の場合、女性は大姉)と合わせて諡されることが最も格式高いとされることから、院殿大居士と俗称されることも多い。また、院殿号を受けた場合にも位号が居士号となる場合もあり、法号位号ともに最高位を占める院殿大居士が貴重とされる。

近年は、封建的な由緒を持つ格式やそれを尊重する価値観が時代とそぐわない面もあり、また特権階級的な戒名を家系や布施に応じて授与する慣例が仏教本来の教えに背くという批判から、仏教界においては議論のあるところでもある。

【出典:ウィキペディア

 

吾郎吾郎

ウィキペディアを読むと、院殿号は将軍や大名に用いられてきたようです。ただし、八王子に藩主はいないので、お寺に貢献した人ではないかと推測します。

戒名は今でこそお金で買えますが(今の時代に高位の戒名を欲しい人がいるかは微妙)当時の日本は仏教だけが許された宗教で、戸籍に代わる名簿も寺単位で保管されていました。

 

今の時代よりお寺の力は強かったと思います。そして、戒名に当然ならが金銭のやり取りは生じたと思いますが、お寺への貢献度によって戒名の位が変わったようです。

 

院号・院殿号
院号は生前にお寺を建立するほど寺院に尽くすとか、社会的に高度の貢献をした人につけられます。戒名の一番上に置くものです。

【出典:位牌がよくわかる

 

有名人・著名人の戒名
足利尊氏
等持院殿仁山妙義大居士

徳川家康
東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士

大石内蔵助
忠誠院刃空浄剣居士

近藤勇
貫天院殿純義誠忠大居士

福沢諭吉
大観院独立自尊居士

夏目漱石
文献院古道漱石居士

三島由紀夫
彰武院文鑑公威居士

古賀政男
大響院釈生楽

石原裕次郎
陽光院天真寛裕大居士

樋口一葉
知相院釈妙葉信女

美空ひばり
茲唱院美空日和清大姉

夏目雅子
芳蓮院妙優日雅大姉

【出典:位牌がよくわかる】

 

武士でも一部だけが院殿になっています。夏目漱石や三島由紀夫も院になっています。石原裕次郎さんは大居士になっています。戒名の作りや基本的な戒名の説明は上記リンクのサイトが参考になります。

 

戒名の下に来る2文字が道号、次の2文字が戒名です。ここは個人の生前の性格や人となりを表す漢字を2文字ずつ入れるのが慣習になっているようです。この部分は僧侶が遺族から聞いた個人の性格などから決定することが多いようです。詳しく道号と戒名は違うらしいのですが、院号の次4文字を見ると、生前の個人につながりのある漢字が利用されているようです。

 

上記の戒名から見ると、近藤勇は『純義誠忠』、福沢諭吉は『独立自尊』(学問のすゝめで平民へ個人が経済的にも精神的にも独立するように説いた)、夏目雅子さんは『妙優日雅』なんとなくイメージどおりな気がしませんか?中には名前がそのまま入っている人もいます。夏目漱石は『古道漱石』です。癇癪持ちの頑固おやじだったようなので、遺族がイジワルして古道になったのかなぁとか勝手に想像してみました。

 

戒名:居士と信士の違い

この部分は位号と呼ばれ、一言で言えばランクです。居士が高くて信士が低い。女性の場合は大姉が高くて信女が低い。子供の場合は年齢によって童子や嬰児などが使われます。

 

少し興味深い話が、居士か信士で当時の身分がわかるという話がありました。つまり居士が武士で信士が商人以下とされる説です。

 

ただ、この部分は僧侶が否定しています。身分で位号は決定していないようです。

 

しかし、お寺に貢献した=寺の建立に資金を出した、熱心に信心した、常にお布施を入れたなどの状況が寺への貢献と考えると、当時の農民は日の出から日の入りまで農作業をしないと食べていくことができず、禄と呼ばれる藩から支給された給料で生活していた武士の方が熱心に信心していた可能性が高いのです。

 

また、経済的にお布施を入れていたなら経済的に裕福なことが条件となるので、豪族でも庄屋や裕福な商人でもない限り寄付をすることは難しかったのではないかと考えられます。

 

吾郎吾郎

このように考えると、戒名からある程度、先祖がどのような人だったのか想像することもできそうじゃありませんか?

 

当家の初代の戒名から読み解く人となりは・・・謀〇栄山。山を川口村の山と仮定すると山を栄えさせることに貢献したのかもしれません。山とは山にあるお寺かもしれませんね。そのため院殿がついたのかもしれません。(全て仮説の話ですが)

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お墓詣りも終わって本家久保さんの自宅へ

自宅の裏手は山だった

自宅の写真も記念に撮らせてもらいましたが、さすがにマズいと思うので裏手にある山の様子です。上川町は自然豊かな山に囲まれています。少々土砂崩れのことを考えると怖い感じがしますが、空気がおいしいです。

 

吾郎吾郎

どうも、はじめまして!

 

本家久保さん本家久保さん

やぁ、来たね!

私と久保さんの関係は祖父の兄弟の孫同士ですが、はとこになるようです。正直ここまでくると他人です(笑)

 

さっそく位牌を見せていただきました。

 

位牌のイメージ

位牌は、お墓と違って明治のもの、江戸時代のものが複数残っていました。没年月日、戒名、下には戸主から見ての続柄が書いてあります。

 

吾郎吾郎

あれ?さっきお墓行ってきたんですけど、直近の名前しかありませんでしたよ?

 

本家久保さん本家久保さん

あれはね。寺が新しくなって昭和になってから建ててるんだよ。

 

吾郎吾郎

過去の方の名前は彫らなかったんですか?

 

本家久保さん本家久保さん

うん。俺もよくわかってなくて、寺に任せて作ったら、ああなったらしい。詳しい経緯はよくわからないけど。

 

吾郎吾郎

そうなんですね。

あ!初代の人の戒名、お墓と位牌で漢字が違う!

 

本家久保さん本家久保さん

え?そんなことないで・・・

本当だ!気づかなかったな。

 

吾郎吾郎

お寺も適当ですね・・・

 

本家久保さん本家久保さん

ね。

実はこの時点で、位牌の名前と戸籍謄本の字が違うことを確認しています。しかも墓石に彫られている氏名も漢字が違うケースがあります。現代の日本人が細かすぎるのでしょうか?かなり適当具合が気になります。

 

なにか先祖のことで知らないか聞いてみる

吾郎吾郎

何か、ご先祖様のことで伝えられていることとか、先祖の身分とかわかりませんか?

 

本家久保さん本家久保さん

ああ。ごめん。俺、全く先祖とかに興味なくて、自宅はご覧のとおり昔からある家なんだけど、先祖のこととか、何か残ってるということは一切わからないんだよ。母さん呼んでくるよ。何か知ってるかもしれない。

 

久保さんのお母さん久保さんのお母さん

あらあら。はるばる遠くまでようこそ。私、あなたのお父さんの結婚式に参加したのよ。

 

吾郎吾郎

ええ。伺いました。父もお母さんにはお世話になったと聞いています。でも先祖のことは全く知らないって(笑)江戸時代の当家の身分とかわかりませんか?

 

久保さんのお母さん久保さんのお母さん

それがね。全くわからないのよ。私も興味がなかったのね。江戸時代にお嫁さんが当家に来て、掃除していたときに古い本みたいの?虫食ってて汚いと言って燃やしちゃったのは憶えてるわ。私が小さかった頃。

 

吾郎吾郎

うわぁ~もったいない。歴史的文献の消失か・・・。

そうだ。千人同心の娘が養子として、名前は〇〇さんが来ているはずですが何か知りませんか?

 

久保さんのお母さん久保さんのお母さん

・・・・・・。

 

本家久保さん本家久保さん

・・・・・。

 

吾郎吾郎

え?何かあるんですか?

 

本家久保さん本家久保さん

そいつについては良い話はないんだよ。

ここでは内情については書きませんが、いろいろあったようです。

 

久保さんのお母さん久保さんのお母さん

でね。その〇〇が嫁入り道具に刀持ってきたのよ。最近までここにあったの。

 

吾郎吾郎

そうなんですか!その刀はどうなったんですか?

 

久保さんのお母さん久保さんのお母さん

息子が酔った勢いで日本刀を研いだら、刃がボロボロになったみたいで捨てちゃった。

 

吾郎吾郎

いろいろなものが惜しいですね・・・。嫁入り道具が日本刀だったら業物だった可能性もあったかもしれませんね。まぁ、日本刀が自宅にあるのも怖いので置いておきたくないので良かったかもですね。

 

久保さんのお母さん久保さんのお母さん

まぁ、そうね。

 

古道具は1つ残されていた

古道具

先祖に関する書類、言い伝えられていること、江戸時代の身分については手がかりはありませんでしたが、唯一、槍が飾られていました。槍と言っても先端は尖っておらず木でできています。

 

どういった経緯で入手したのか誰もわかりませんでしたが『気づいたら自宅にあった』そうです。

 

吾郎吾郎

訓練の練習用の槍だと思うんですが、何かわかりません。もし、知っている方いたらご連絡ください。右側のお問い合わせからご連絡頂ければメールで返信します。

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お坊さんがお経を上げに来た

福寿寺の住職

久保さんが仏壇を購入したようで、住職がお経を上げにきました。終わるまで後ろで待っていて、終わったら質問攻めです。

 

吾郎吾郎

ありがたいお経ありがとうございます。今日のためにやってきた遠縁の久保です。何点か質問させてください。

 

住職住職

うむ。良いでしょう。

 

吾郎吾郎

当家の戒名を見ると、初代〇〇の位号が院殿なんですが、福寿寺さんで戒名を決めるためのルール的なものがあれば教えてください。また、居士と信士をつけるときの差は何でしょうか?

 

住職住職

なるほど。檀家さんは元々ご先祖様のお墓がある場合、すでに居士、信士が決まっています。世襲ではないですが、前例に従って居士、信士を受け継いでいきます。

また、現在では院殿号はお目にかかることがありませんね。何か大きな業績を残されたのではないかと思います。

 

吾郎吾郎

なるほどですね。では、戒名から江戸時代の身分がわかりますか?

 

住職住職

わかりません。正確ではないんですよ。あくまでお寺への貢献度で決まっていたようです。身分は度外視です。

 

吾郎吾郎

えっと。農民だと経済的にも信仰的にも貢献できなかった可能性が高いと思うんですが、その点はいかがでしょうか?

 

住職住職

なんとも言えません。ただ、身分で決まっていたわけではないことは事実です。しかし、久保さんが言うように、熱心に信心していても農民の場合、信士、信女が多かったのではないかと思います。確定はできませんけど。

 

吾郎吾郎

福寿寺は火災で焼けてしまって建て直したと聞いています。そのときにお墓も消失してしまったんでしょうか?墓石なら、作り直すことも可能なのではないかと思うんですが?

 

住職住職

私は土砂崩れで埋まってしまったと聞いています。実は私も十数年前にこちらに来たので以前の話はよくわからないのです。江戸時代の福寿寺は無住だったみたいですね。

私の本家は先祖の情報がありませんでした。昔の人は多くを語らずという精神もあったと思うので、文書が残っていないと明確に先祖の暮らしを知ることは難しいかもしれません。

 

江戸時代から住んでいるであろう自宅でも古い書類等は一切ないので、他に頼るとすると専門家の力を借りるしかないかもしれません。

 

しかし、収穫もありました。

 

先祖調べの収穫

チェック千人同心(身分は足軽)との養子縁組による婚姻

チェック自宅に刀剣があったという事実

チェック1640年頃の先祖の戒名(位号は院殿号)だった

チェック位牌から1700年頃までの先祖の名前がわかった

 

残念ながら、私のケースでは古いお墓が消失、本家に情報がなかったことからこれ以上の情報収集は困難だと判断しました。ただ、興味があって、先祖を調べたので、供養のためにも、位牌の名前から家系図を作り直そうと思います。

 

全く趣味の域を出ない先祖調べですが楽しかったです。できれば明確な事実がわかればもっと楽しいと思いますが、これ以上の調査をする場合は、先祖調べを仕事にしている業者に依頼するしかなさそうですね。

 

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